読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちょっとひとやすみ( ˘ω˘)

読んだもの、考えたもの、何でも。

自分で釣った魚を食べられなかった後悔

精神
私が最後に釣りをしたのは小学生の頃でした。祖父に連れられ、海岸沿いで海釣り。

涼しい風が気持ちのいい初夏のとある1日。車で小一時間、海岸に到着しました。

祖父の用意していた釣り餌は生きている虫。プラスチックの箱の中をうねうねと蠢く蠢く。

ルアーを使ったことがあったのですが、本物の虫は初めてでした。

虫たちはとても窮屈そう。外の空気を吸いたそうに見えました。

祖父が箱を開けると「待ってました!」とばかりに数匹が箱の外へ顔を出します。

祖父はそのうちの1匹をひょいと掴み、慣れた手つきで釣り針に突き刺します。

「◯◯くんもやってみぃや」

と言われたものの、私はそれまでバッタやカタツムリくらいしか触ったことがありませんでした。

そのためか、幼き日の私の目にはこの箱が何かおぞましいもののように映りました。

そこで、祖父に頼んで虫を釣り針につけてもらいました。虫が苦しそうに悶え始めます。

私はそれに怯えながらも釣竿を振って、釣り針を海に投げ入れました。

しばらく待っていると、釣竿に手応えが。糸と海面が接してできた黒い点がススッと沿岸の方に動いていきます。

魚があの虫に食いついたのです。小さい手で必死に引っ張り、ついに釣り上げました。

そうして、何度も釣っていくうちにバケツは魚でいっぱいに。

広い海から一変、狭いバケツに入れられた魚たち。しかし、仲良くその中を泳いでいるように見えます。

たくさん魚を釣ることができたので、私も祖父も意気揚々と帰宅。そして、早速、祖母に魚を焼いてもらいました。

しかし、私には焼かれた魚たちが悲痛な表情を浮かべているように見えたため、一口も食べることができませんでした。

そのことを伝え、その場にいた家族に全部食べてもらいました。

「さっきまで元気に泳いでいたのに私が釣ったせいで死んでしまった、、、」

と幼心ながらに思ったのです。

後にこの選択は間違いだったと反省することになりました。

自分で釣った魚は責任を持って「美味しい、美味しい」と言いながら食べるのが正解だったと思っています。

食べ物に感謝するという意味を強く感じることができた体験でした。

食べ物さん、ありがとう

食べ物さん、ありがとう