「話すこと」と「書くこと」
現代は「話すように書くこと」が当たり前のようになっています。
ポケベルに始まり、ケータイメールやブログ、mixi、Twitter、LINEに至るまでの20年ほどの出来事。
これらのメディアが次々に登場し、普及することで、人間関係の拡大と連絡の高速化、コミュニケーションの閾値の低下が起こりました。
それ以前はどうだったのでしょうか。
言葉が生まれた時、人はまだ書くことが出来ませんでした。そのため、情報の蓄積がほとんどできず、今ほど高度な知識や思考を人は持っていませんでした。
しかしその後、文字の誕生により人は書くことが出来るようになりました。そのことで、個人が情報を蓄積出来るようになり、それをもとに人々の間で議論し、さらにそれを蓄積することで知識や思考がどんどん高度なものになっていきました。
その結果、人は論理的に話す力を身につけました。つまり「書くように話すこと」が出来るようになったということです。
さらに、グーテンベルクの印刷機の発明、新聞の誕生、ラジオ・テレビの普及などメディア史に残るようなコミュニケーションの革命により情報が広範囲に広まるようになりました。
電話は当初、主に業務連絡に使われていましたが、音質の向上により、次第におしゃべりのようなコミュニケーションのためのコミュニケーションにも使われるようになりました(吉見2012)。
タイムラグなく声を伝えることのできる最初の電気技術を用いたパーソナルメディアでした。
一方で依然として「書くこと」はタイムラグが大きく、気を遣う作業でした。例えば、手紙は一度送ってしまうと、書き換えることが出来ない上に、金銭的負担があるために一度でたくさん書くことが多いです。筆やボールペンで書くと、間違えた際、初めから全部書き直ししていたかもしれません。
そのタイムラグの大きい点と文字を書くこと、消すことの面倒な点を解消したのが、パソコンメールでした。しかし、パソコンメールは手紙のようなカタイ文章の文化を踏襲していました。
ポケベルの若者への普及が「話すように書く」文化の始まりでした。そして、ケータイメール、SNS、LINEへとつながります。
「話すように書くこと」。文章において共感を得るには比較的効果のある方法だと思います。しかし、危惧していることがあります。それは「話すように書く」ばかりでは「書くように話す」能力が低下してしまうのではないかということです。
「書くように話すこと」ができないと論理的に物事を解決できないという問題が起こると考えられます。特に若者の間で「話すように書くこと」が書くコミュニケーションの大半を占める現代。日頃からカタイ文章を書くことや「書くように話すこと」を意識的にしておいて損はないと思います。
【参考文献】
吉見俊哉 2012『メディア文化論ーメディアを学ぶ人のための15話 改訂版』有斐閣アルマ

メディア文化論 --メディアを学ぶ人のための15話 改訂版 (有斐閣アルマ)
- 作者: 吉見俊哉
- 出版社/メーカー: 有斐閣
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